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戦争体験を語る ~vol.6~

ご利用日記

戦争体験を語る ~vol.6~

以前からお伝えしています、ご利用者I様の戦時中の体験を物語でお送りしていきます。

 ー 前回までのお話はこちらをクリック ー

昭和二十年三月二十七日、同じ釜の飯を食べた動機の若桜に第一次出撃命令が下りました。

その前夜先に出撃する若桜と送別会を行い車座になって酒を飲み合い、

酒のサカナはアサリの缶詰で手拍子で軍歌を歌い踊りました。

 

【若鷲の歌】

一、若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨

今日も飛ぶ飛ぶ宇佐空には でっかい希望の雲が沸く。

二、命惜しまぬ予科練の意気の翼は勝利の翼

さっと巣立てば荒海越えて 行くぞ敵陣殴り込み

 

【同期の桜】

一、貴様と俺は同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟。

見事散りましょ。国の為。

二、貴様と俺は同期の桜 同じ航空隊の庭に咲く 血肉分けたる仲では無いが

何処か気が合う別られぬ。

 

あの靖国神社に四月には桜の花が咲く。俺が先に言って桜の木の下で待っている。

鬼を集めて酒を飲もうよと言って。

人風特攻機に魚雷を抱いて大日本帝国は必ず勝つと信じて沖縄の南海の空に散った同期の若桜に仰ぐ合掌。

二次、惨事と出撃する私達特別攻撃隊若桜は激しい訓練に明け暮れ、終戦まで頑張りました。

昭和二十八年八月十五日終戦。その時私は十七歳一ヶ月でした。

天皇陛下の玉音は何寺だったかの境内で、残った特別攻撃隊員で慎み聞きました。

大日本帝国は此の太平洋戦争に必ず勝つと信じ、毎日張り詰め、天皇陛下の為と教育され、

猛訓練にも耐え、頑張ったのに何故戦争に負けたのかと皆声も出なかった。

昭和二十八年八月二十三日航空隊長より訓示が有り。

志願兵と特攻隊員には一時外泊と休暇を与える。

一旦暖急の時は即原隊に復帰せよ。その他の将兵は本日をもって除隊にする。

午後西大分港より海軍所属の軍船に乗る。食料の備蓄は有り、まずまずの食事が出来ました。

別府港を航行し豊後水道を通過して瀬戸内海を航海しました。

軍船が進む毎に変わる海上に浮かぶ大小の美しい島々をみながら、ああ国敗れて山河有り、

此の事を言うんだなと思いました。

軍船は神戸三宮に無事着き、此処から大阪に出て汽車に乗り継ぎ米原駅で、

北陸方面に帰る付きの特攻隊員と道中互いの無事を祈りました。

普通列車に乗り、汽車の窓から焼け野原の死骸を見て此れからの日本道アなるかわからず、

途方にくれました。

【つづく】

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